証(あかし)の部屋

不良少年から牧師へ(前編)

私の母の父は牧師でした。父は神主の家系に生まれましたが、蓄膿症の手術の失敗が原因で半身不随になったのを機に信仰を持ちました。そんな両親は私を、「キリストに向かって真っ直ぐに歩んで欲しい」という願いから「直基」と名付けられました。両親の期待は大きく、私は、クリスチャン・ファミリーの長男として、厳しく教育されました。そして、いつしか生きることに息苦しさを感じるようになりました。

体が弱い私は、小学校の頃から、学校を休むことも多く、仲間外れやいじめに会いました。学校が嫌いになり、遂に登校拒否をするか仕返しをするかの選択をせざるを得ない事態に追い詰められました。思い切って殴りかかると、相手をやっつけることができ、いじめは止みました。しかし、今度は反対のいじめる立場に立つようになり、さらに、公園での焚き火や万引きなど、様々な悪い遊びを覚えました。

中学生になり、不良グループと付き合うようになりました。ナイーブで人の影響を受けやすい私は、不良の道をひたすら走り、たばこやお酒を覚え、シンナーもやるようになりました。彼女もできました。喧嘩、万引き、窃盗、無免許運転、不良中学生がやるようなことはみなやりました。不良グループから抜け出したいと思うこともありましたが、仲間はそれを許してはくれません。また、今更更生したところで、いい高校に入れるわけではなく格好も悪いため、そのまま不良の道を進まざるを得ませんでした。

高校の通信教育で学びながら、私は毎日8時間、そば屋で働きました。社会に役に立っているという充実感から、自分に自信を持てるようになりました。他に、日雇いの草むしり、コンビニエンスストアの店員、築地の市場での配達、トラック運転手、宅急便の配達員、デパートでの掃除、ファミリーレストランのウェイター、お弁当配達等も経験しました。これらの経験は、どれも必要なことだったと思います。

暴走族ややくざとの関わりもできてしまいました。ある日、やくざから監禁され、暴行され、半殺しの目に会いました。自分の居場所を失った私は、「もう死んで消えてしまいたい」と思うようになりました。同時に、何とかこの苦しみから救われたいと思いました。

ふと本棚に目をやると、一冊の聖書がありました。もう何年も教会に行っておらず聖書も読んでいませんでしたが、わらにもすがる思いで聖書を開きました。マタイの福音書11章28節に私の心が求めていた言葉が書かれていました。その言葉を語られたイエスというお方に救いを見出し、お祈りをしました。すると神の愛に圧倒され、夜が明けるまでぼろぼろ涙を流して祈り続けました。死にたいという思いはなくなり、生きる意欲が湧き上がってきました。

その喜びがあまりにも大きかったので、路上でギターを弾きながら道行く人たちに福音を語りました。教会でも機会がある毎に神さまが私にして下さったことを証しました。18歳の時でした 

20歳の時に、町で声をかけられ、「芸能界に歌手デビューをしてみないか?」と言われました。音楽大学で音楽を勉強しようと思いました。しかし、神さまにお祈りをしていると、「牧師になって、多くの人に神さまの言葉を語りなさい」という導きを感じました。葛藤の後に、神さまの導きに従い、音楽大学と芸能界への道を諦め、神学校に入学しました。20歳の春、私は生涯を神さまに捧げました。

〔リバイバル新聞 2008年1月1日新年号 掲載〕

不良少年から牧師へ(後編)

小学校の頃から勉強嫌いでしたが、神学校に入学してからもしばらくは勉強が嫌いで、いい成績を取ったことはありませんでした。ある日キリスト教の集会で、生き生きと輝いているクリスチャンの姿を見て、自分もそのようになりたいと思い、神学生である自分が恥ずかしくなりました。そして「私もそんなクリスチャンにさせて下さい」と時間の感覚を失うほど祈ったとき、天国にいるような感じになり、嬉しくてたまらなくなりました。私はすっかり変えられました。本来の才能や能力が目覚め、勉強も好きになりました。

26歳の誕生日に、韓国人女性と国際結婚をしました。出会いはその一年前の夏でした。毎週土曜日に私は、新宿駅アルタ前の路上でギターを弾き福音を語っていました。たまたま韓国から短期宣教のため来日中の120人のチームも一緒に参加しました。チームの一人が彼女だったのです。出会いのチャンスはたった一回でした。その日私は疲れていましたが、今日もどうしても伝道をしなくてはいけないとの気持ちに駆られ、新宿で福音を語りました。そこに韓国人宣教チームが合流し、一緒に伝道したのです。帰りがけに、「文通しませんか?」と彼女に言われ、「いいですよ、ぜひ文通しましょう」と私は喜んで答えました。タイミングが少しでも狂っていたらあり得なかった運命的な出会いは、神さまが引き合わせて下さったのです。その後半年間、日本と韓国で、1‐2週間に一回程度の割合で日本語での文通をしました。当初は真面目な話題が中心でしたが、クリスマスの頃にはラブレターになりました。翌年4月に、彼女は宣教師として来日しました。突然、「今成田空港です。ぜひ迎えに来てほしい」と電話が入りました。それから互いに祈り、3カ月後に結婚しました。結婚後は理想と現実のギャップに驚き苦しみました。文通ではよい部分だけを見せ合いましたが、いざ一つ屋根の下に生活すると、互いに受け入れ難い部分を知ったのです。

国際結婚と同時にアメリカ留学が始まり、ダブルのカルチャーショックでした。日韓関係は、似て非なる国という表現がピッタリです。結婚生活では情緒面や価値観など、あらゆる面でぶつかり傷つけ合い、たくさんの痛みを経験しました。互いに許せない部分を相手の中にいくつも見、「このように振舞うべきである!」と言い合い喧嘩しました。しかし、そのような中でたくさん祈り、高慢な自我が打ち砕かれ、神さまだけを信じるように導かれました。向上心が沸き、勉強も頑張りました。神学校の教室では学べない実地科目(愛と赦しと忍耐の実践)を結婚生活を通して学ぶことができました。

離婚をしても不思議ではない最悪の時期が続きましたが、結婚2年後、妻の妊娠を機に関係は改善に向かいました。喧嘩をやり尽くした後だったためすべてが最も良く、神さまの計らいを感じました。長女、長男、次女が生まれ、2007年には次男が生まれ、四児の父親になり、最高の幸せを感じられるようになりました。

神学の勉強は、計16年間続けました。まず大学を卒業し、次に大学院を卒業して修士号と博士号(D.Min)を取得しました。神さまと共に歩めば、必ず与えられた使命を成し遂げることができると確信しています。これは人生の新しい始まりに過ぎません。神さまに与えられた可能性を、一回の人生の中で残さず成し遂げて行きたいと思っています。 

〔リバイバル新聞 2008年1月20日号 掲載〕

「出前牧師カンちゃん」

2008年4月から 「出前牧師カンちゃん」 という名前で、福音の伝道を始めました。あなたはきっと、 「なぜこんな名前をつけたの?」 って、質問したくなるのではないでしょうか。

1「道路の草むしり」から「そば屋の出前」へ

初めてしたアルバイトは、幹線道路の草むしりの日雇いの仕事でした。仕事を終えて帰って来ると、排気ガスで顔中真っ黒になりました。草むしりをしながら、こんなバイトをするよりも、自分が持っているバイクの免許を生かした仕事がしたいと考えました。

アルバイトニュースで、おそば屋さんの出前の仕事を見つけました。時給800円、食事つき、交通費全額支給。16歳の私には、まあまあの条件でした。早速バイクに乗って、そば屋の出前のバイトをはじめました。東京の鮫洲にある運転免許試験場が近くにありましたので、そこにもよく出前をしました。

ある日、試験場に出前に行った帰りに、強引に献血のお願いをされました。私は良いことだと思って、快く引き受けました。 「ずいぶん遅かったけど、何かあったの?」。 店に戻ると、店長から聞かれました。 「献血を頼まれたので、献血してきました」。 私は正直に話しました。 

「バカ者! 首だ! 明日給料を取りに来い! すぐに帰れ!」。 店長は真っ赤な顔をして私を怒鳴りつけました。後で気づいたのですが、仕事中に時間のかかる献血に応じたのはよくありませんでした。

2「魚屋の出前」へ、そしてまた「そば屋の出前」へ

初めのうちは落ち込んで、自分を責めたりしましたが、しばらくして立ち直り、今度は、六本木の麻布十番の魚屋さんの出前をしました。魚屋の仕事はとても忙しく、約1ヶ月後に、 「君は仕事が遅いから辞めてもらう」 と、言い渡されました。また首になってしまいました。のんびり気分で仕事をしていましたので、他のバイトの人と比べて、仕事のスピードがだいぶ遅かったのだと思います。

しばらくは落ち込みましたが、また気を取り直して、今度は、虎ノ門のおそば屋さんの出前をはじめました。ここの店長は私をかわいがってくれましたので、とても楽しく仕事をしました。近所にあったテレビ東京の芸能人や歌手の楽屋から注文が入ると、率先して出前をしました。また、バイトが楽しかったので遠くの出前も率先して行いました。

注文を正確に伝票に書き、それを厨房に伝えます。出来上がったおそばのどんぶりをラップし、薬味、お新香、おはしとレンゲを手際よくセットし、できるだけ早く出前します。のろのろしていると、おそばがのびてしまうからです。これは時間との戦いです。 「毎度どうも!」。 元気よく届けた時にお客さんが喜んでくれると、本当にうれしくなりました。出前の仕事をしていて良かったなー、と実感しました。

3 今では、「出前牧師カンちゃん」へ!

 それから約20年が経過し、今では 「出前牧師カンちゃん」を名乗って、牧師の出前をしています。先日、大阪のラジオ番組に出演しましたが、 「出前牧師」 という発想がとてもユニークだと言われました。 「出前牧師」とは、一体何を出前するのでしょうか?

人が訪ねてくるのを待っているのが普通の教会です。また、多くの教会は日曜日しか開いていません。 1年365日、1週間7日、1日24時間開いているオープンな教会があったらいいなあと思う人がたくさんいることでしょう。本当はそれが教会のあるべき姿なのです。

「教会で待っているのではなく、自分から人々のところに出て行って、『福音の出前』をする牧師になったらどうだろうか?」。 ある時こう考えました。こうして今では、1週間のうち6日間は出前牧師をしています。早朝に、最寄りの駅を順番に回り、駅前に立って、福音文書を配布します。 「おはようございます!」。 明るく大きな声であいさつをして、短いメッセージをします。

最初のうちは、誰からも相手にされませんでした。でも、週1回は同じ駅前に立っていますので、乗降客のみなさんが 「出前牧師カンちゃん」 を好意的に受け入れてくれるようになりました。聖書について質問されたり、悩みごとを相談されることもあります。何十人もの方が、私を訪問してくれたり、私の教会の礼拝に参加してくれるようになりました。

4 洗礼式を「マック」で!?

『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい』 (マルコによる福音書16章15節)。 聖書にはこう書かれています。 「あなたは人々の中に出て行って伝道しなさい」 ということです。ですから、私は駅前に出て行って、通勤する方々に福音を毎日お届けしています。

そこで、 「教会には行きにくいけど、牧師に自分の悩みを相談してみたい」 という人に出会います。その人と一緒に、焼肉屋、ファミレス、ハンバーガーショップや喫茶店に行ってお話しします。

ひたすらその方の悩みや相談ごとに耳を傾けます。全部聞いた後で、私なりの考え方を聖書から語ります。 「えっ!? 聖書にはそんなにすばらしいことが書かれているのですか?」。 驚いて聞き返してきます。中には、 「そんなにすばらしい神さまなら、私もイエスさまを信じたい!」と言ってくれる人もいます。

さらに驚くべきことが起きることがあります。 「今ここで洗礼を受けてもいいでしょうか?」 と言う人までいるのです。すぐにウエイトレスに水を持ってきてもらって、その場で洗礼を授けます。昨年末は、新大久保の焼肉屋さんで洗礼式を行いました。

先日も、お茶の水のマックでハンバーガーを食べながらお話していた相手の人が、 「今、洗礼を受けたい!」 と言うので、その場で洗礼を授けました。側にいた見ず知らずのお客さんがそれを見て感動し、 「これ、お祝いです。食べてください!」 と言って、アップルパイをプレゼントしてくれました。そのお客さんは、クリスチャンではありませんでした。 

「イエスさまを信じて、洗礼を受ける」 ということは、それほど感動的ですばらしいことなのです。 「神の永遠のいのち」 を授かり、 「天国行きのパスポート」 をいただくことなのですから。

5「マック」が教会?

「○○教会」 という看板はついていませんが、そこは教会と同じなのです。 『教会』 と訳されている聖書の言葉のギリシャ語原語は、 『エクレシア』です。 『神から選び出された者の集まり』 という意味です。つまり、神を信じる人と人の繋がり、人々の集まりが教会なのです。

ですから、レストランでも、喫茶店でも、家庭でも、神を信じる人々が2、3人集まって、聖書のことを語り合うならば、そこがそのまま 「教会」 です。私は福音を出前しているだけではなく、出前先で教会の働きを行っていることになります。出前先で、聖書のことばを語り、洗礼を授け、病気がいやされるように祈ったりしているからです。

6 あなたの過去はすべて生かされます

幼い頃病弱だった私は、今、 「いやしの働きをする牧師」 となっています。宗教的、律法的に親から信仰を押し付けられて反発していた経験が、今、 「自由と愛に生きる牧師」 となっています。

いじめられっ子といじめっ子の両方を経験した私は、その両者の気持ちを理解し、 「いじめに苦しんでいる人たちを助ける牧師」になっています。私は自殺寸前にまで追い込まれましたが、「自殺したい人を救う牧師」となっています。

20歳の時、芸能界にスカウトされそうになった私は、その時、歌手になる道をあきらめ、神さまの導きに従って牧師になりました。今の私は、毎週の礼拝や数々の大きな集会で賛美をリードし、月に何度も駅前で路上ライブをする、「演奏しながら歌う牧師」となっています。

かつては、そば屋や魚屋の出前をしていましたが、今、 「出前牧師カンちゃん」 を名乗って福音の出前をしています。

こうして、私の過去は何一つむだではなく、すべての体験が生かされていています。神さまによって私はすばらしい人間として造られ、神さまから私はあるがままで愛されていることを、日々発見しています。

7 あなた自身のすばらしさに目覚めましょう!

聖書によると、神さまに造られたあなたは、特別な個性を持ったすばらしい人なのです。自分を人と比較する必要はありません。バラにはバラの美しさがあり、ひまわりにはひまわりの美しさがあり、桜には桜の美しさがあります。あなたが本物のあなたであるからこそ、本当にすばらしいのです。

私はアメリカの神学大学を卒業して博士号まで取ったのですが、実は英語がからきしダメなのです。そんな私ですが、ある時大学の英語のスピーチコンテストに挑戦しました。初めからしどろもどろで、途中から必死で身振り手振りのボディランゲージになってしまいました。もう汗だくでガンバリました。私の英語のあまりのヘタさと私のボディランゲージのあまりのコッケイさに、会場は、爆笑に次ぐ爆笑でした。

当然ビリで失格だと思いました。ところがです。そんな私が、なんと、そのコンテストで優勝してしまったのです! まさかと思い、心から驚きました。英語がヘタなために、私の特別な個性が生かされて、それがかえって「すばらしい!」と評価されたのです!

ですから、人と競って 「ナンバーワン」 を目指すこともよいことですが、それよりも、 「オンリーワン」 を目指した方がいいですね。本来のあなた自身になり切っていくことが、あなたの本当のすばらしさです。 

「自分が自分であること」 に生きがいを見出すことができたら、こんなにうれしいことはありませんよね。これまであなたが歩んできた道の中にヒントがあると思います。あなたの過去は、すべて生かされます。

あなたは、 「特別にすばらしい人」 として造られています。そのすばらしさを通して、神さまは、あなたに自信を与え、過去の傷をいやし、やりがいと生きがいを与えてくださいます。あなたは愛されるために生まれたのです。

あなたは幸せになるために生まれてきたのです。かつては劣等感のかたまりだった私は、今、自分の個性に目覚めて本当に幸せです。どうか、あなた自身の特別なすばらしさに目覚めて、あなたも幸せになってください。

〔ハーザー 2008年8月号 掲載〕

「コロナ禍における挑戦に対する応戦 ~新しい宣教と生活~」

2020年2月11日、世界保健機関(WHO)は、中国の武漢から世界中に広がった新型コロナウイルスによる病気の正式名称を「COVID-19」と命名しました。

「COVID-19」の名前の由来は、「CO」…コロナ(corona)、「VI」…ウイルス(virus)、「D」…疾患を意味する「disease」の3つをあわせて「COVID」。そして、最初に感染が確認された2019年12月31日の年を表して「19」と命名されました。

年末年始には、ルノー、日産、三菱のCEOであったカルロス・ゴーン氏の逃亡劇で大騒ぎになっており、新型コロナウィルスは対岸の火事であるくらいにしか認識していませんでした。

1、世界は一瞬にして変わり得る

2019年10月31日のハロウィンの大騒ぎの時、渋谷駅のハチ公広場の花壇の上をステージとして上品な仮装をして、スピーカーでイエス・キリストの福音を多くの人たちに語りました。多くの人が仮装してのパフォーマンスの一つとして大喜びでした。

その翌日の11月1日には、ラグビーワールドカップ2019の3位決定戦が東京スタジアムで開催されましたが、スタジアムと駅の中間地点で、4万9千人の来場者たちに歌と演説とチラシ配りによって福音を伝えました。チラシはあっという間になくなり、1日にあれだけ多くの人に福音を伝えたのは生まれて初めてのことでした。

そして、今年2020年3月28日には、上野恩賜公園野外ステージで「ジャパン・ハーベスト2020大会」を開催するために準備をしていました。開催するかどうかを慎重に検討しておりましたが、3月27日までは自粛のお願いでしたが、開催日以降は、東京都から「新型コロナウィルス感染拡大防止のために、すべての施設を閉鎖するので会場をお貸しできません」と電話が入りました。急きょ、当日行う予定であったプロフラムを関係者だけで集まって、インターネットで無観客ライブ配信を行いました。

5月には、「コミックマーケット98」で1万札のマンガ聖書を配る準備を進めておりましたが、新型コロナウィルス感染拡大防止のために中止になりました。

「東京2020オリンピック・パラリンピック」においては、国内外の宣教団体と連携して大々的に福音宣教しようと早くから準備を進めていましたが、新型コロナウィルスの影響でこれも延期になりました。

年末年始には、新型コロナウィルスは対岸の火事としか思っていませんでしたし、誰もがこんなことになるとは想像もしていなかったと思います。しかし、世界は一瞬にして変わり得るという事実を目の当たりにしました。

かねてから、日本のリバイバルは、現状の延長線上ではなく、何かとてつもない変化が起こって、神様に助けを求めるようにならないと起こらないだろうと感じていましたので、神様は、令和のリバイバルの布石を打たれたのではないかと感じるくらいです。

2、オンライン礼拝

私が仕える新宿福興教会では、2002年頃からインターネットを使って礼拝の生放送の配信を行って来ました。当時は100万円以上するシステムで、開拓伝道中の私にはとても手が出せませんが、「インターネット礼拝の配信システムを日本全国の教会に宣伝し発売するために、システムを無料で提供するのでモデルチャートになってほしい」と頼まれたことからでした。

しかし、時代と共に古くなり、映像も音声も今ではとても見られたものではありませんが、3月28日の「ジャパン・ハーベスト2020大会」のオンライン配信を機に、ほとんどお金をかけずに新しいシステムが構築されました。

教会も徐々に新形コロナウィルスの影響を受け始めていました。4月に入ってからは、自粛して教会を休む人が出始めました。そして、信者の礼拝への態度が両極に分かれていきました。

1つは、家族の反対や自粛によって礼拝を休む人。もう1つは、まったくコロナウィルスを恐れないで教会に熱心に集う人がいました。

聖書は、「恐れるな」と語りますが、「自分はコロナウィルスに絶対にかからない」と考えて恐れ知らずも困ったものだと感じました。「万が一、教会でクラスターが発生したら教会を完全閉鎖しなければならないし、大切な教会員の命を守らなければならない!」と思い、しばし神様に祈った後に、イースターの日曜日から、ペンテコステの1週間前の日曜日まで、教会の礼拝堂で行う礼拝を中止にして、無会衆オンライン礼拝にスイッチしました。

恵みによって17年間礼拝の生放送配信を続けて来ましたので、オンライン礼拝といっても特に目新しいことではありませんが、さらに、神様が備えて下さって、つい先日の「ジャパン・ハーベスト2020大会」のオンライン配信を機に新しいシステムが構築されましたので、スムーズにオンライン礼拝に切り替えることができました。

最初の頃は、最小限のスタッフだけは奉仕のために参加していますが、無会衆で何の跳ね返りも応答もないので、独り言を言っているような空虚さを感じました。

しかし、主を礼拝し、聖書の御言葉を語っているうちに心が熱くなって、次第にいつもの礼拝と同じような気持ちになっていきました。しかも、慣れるに従って、人間関係がなく、「楽でいいな」と感じるようになっていきました。

楽であることを神様に感謝しましたが、心配なのは、「信徒たちがこの状態で信仰が保たれるのか!?」ということでした。そこで、LINE通話を通して近況を聞き祈りました。また、毎日ショートメッセージのメールマガジンを配信するようになりました。

そして、ペンテコステの日曜日には、前もってみなさんに連絡をしていましたので、久しぶりに半分くらいの信徒の方々が礼拝に参加しました。とても励みになり、やっぱり礼拝は集まって一緒にささげることに意味があると痛感させられました。

しかし、ほどなくして、新型コロナウィルスの第ニ波が到来し、再び自粛する人たちが増えました。

緊急事態宣言や東京アラートが解除されていますし、法律的にも教会の礼拝は規制もされていないのに、自ら命を守るために、オンライン礼拝を選ぶようになりました。

牧師や信徒の側から見たら、オンライン礼拝でも礼拝を守っているので形式上問題はありませんが、「教会に来ると時間もお金もかかるし、疲れるので、日曜日は家でゴロゴロしている方が楽だ」と考えて、教会から足が遠のく人が出ていますし、オンライン礼拝だと献金をささげない人が多いので、教会の経済が心配になります。

そんな時、神様が、「この教会はあなたの教会ではない。私の教会だ。私が守る。私が導く。私が養う。だから、私に任せてあなたがやるべきことを全力でやりなさい」語りかけて下さいました。

新形コロナウィルスによって、信徒の信仰がふるわれているだけではなく、牧師の信仰もふるわれていることに気づきました。しかし、神様が「大丈夫だ!」と語って下さっているのだから、安心して任せることにしました。

イエス様は、5000人を養うことができたのです。「教会を守り、教会を養うのは私だ!」と励まして下さる言葉が、どれだけ私を力づけ、強くしてくれたことでしょう。

毎日が戦いです。それは、悪魔との戦いであり、自分自身の弱さとの戦いであり、神に委ねきるまでその戦いは続きますが、その戦いの中で力が与えられ、戦いに勝利した時には、神様は、目の前の問題を解決して下さるだけではなく、その勝利にふさわしい祝福を与えて下さり、喜びで溢れさせて下さいます。

聖書は語ります。「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。『もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。』私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(へブル人への手紙10章35節~39節)

神様は、「もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」と語ります。新型コロナウィルスによって数々の問題に直面し、気持ちもふさぎ、燃え尽きそうになる時、恐れ退くのではなく、信じていのちを保ち前進することを願っておられます。

ですから、教会の活動を自粛し、規制することが、コロナや人の目を恐れるという恐れが動機であってはいけないと思います。「大切な人の命を守る」という愛が動機でなければなりません。

3、新型コロナウィルスを通して得た恵み

新形コロナウィルスのパンデミック前には、教会の内外での活動に奔走し、忙しい毎日を過ごしていました。しかし、コロナによって、活動は激減し、ほとんどの集まりが中止になるかオンラインでの開催になりました。

時間にゆとりが生まれる中で、何が「不要・不急」なのか、何が「要・急」なのかを考えるようになりました。

世の中に生きていて、やりたいことだけをしながら生きていける人はごくわずかです。やりたくなくてもやらなければいけないことがたくさんあります。しかし、それはやらされていると思うからやりたくなくなるのであって、「不要・不急」、つまり、優先順位の低いことを後に回すかやめて、「要・急」、つまり、やるべきことを神様からの負託として受け止めて、自ら進んで、喜んでそれを実行していき、好きでない、やりたくない仕事でも、それにやりがいを感じ、最後は好きになっていくということを味わっています。

ですから、現在もとても多忙な毎日を過ごしていますが、優先順位の低いことを後回しにしたり、やめていますので、充実感があります。

それは、イエス様の使徒たちが、「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」(使徒6章2~4節)と語ったように、限りなく、祈りとみことばの奉仕に専心できています。

活動にばかり専心していると、出がらしの紅茶のように、カラカラに乾き、空っぽになっていき、そのことにさえ気づかないことがありますが、祈りとみことばの奉仕に専心していると、絶えず新しい紅茶の茶葉で紅茶の抽出をするように、受けて与え、燃え尽きず、通り良き管、祝福の基となることができます。

①コロナウィルスを通して、生活や仕事の優先順位を見直すことができました。

②コロナウィルスを通してYoutuberになりました。

Youtuberとなり、毎日ショートメッセージの動画配信をするようになりました。Youtuberというと、YouTubeで動画配信をして、高額収入を得、たくさんのフォロアーがいて、インフルエンサーとして絶大な影響力を持った人をイメージすると思いますが、自分で動画を作ってそれを配信する人もYoutuberです。爆発的にチャンネル登録者が増えるということはないですが、コアなフォロアーが1人1人増えています。

③コロナウィルスを通して、人間関係を整理することができました。

身近なところでコロナウィルスの自粛警察になる人が出ました。教会や宣教活動の活動方針に異論を唱えたり、考え方の違いが表面化しました。

例えば、自分の大切だと思っていることに関してなら外に出かけるのに、教会での集会や外部での伝道活動などに対して「やめるべきだ!」と声を上げ、やめなければ批判するという具合です。

平時には、保たれていた人間関係が、有事になり、隠れていた亀裂が表面化することが起こり、人間関係が切れたり、反対に、深まったりしました。

私の側から人間関係を切ることはまずありませんので、批判し、離れて行く人がいるのは心苦しいですが、愛と確信によって生きていて離れて行ってしまう関係は、神様が人間関係を整理して下さり、「より集中するべき関係を深めなさい」と言っておられるのではないかと感じます。

最後に、コロナ禍によって、世界は変わり、生活が変わり、人間関係が変わり、すべてが一変しました。この出来事を通して、聖書が書かれている終末預言に関して、よりリアルに感じるようになりました。

クリスチャンの空中携挙、7年間の患難時代、1000年王国は、まだまだずっと先のように感じていましたが、ある日突然起こり、それはあっという間に実現します。

クリスチャンが携挙されて天に引き上げられたら、この地上には祈る人、伝道する人がいなくなります。もちろん、神様が人を立てて下さると信じます。

しかし、同時に、私たちに取っての伝道や教会の働きを行える時間には限りがあります。神様の目から見た「不要・不急」を後回しにして、「要・急」の働きに専心して行きたいものです。

恐れ退く暇はありません。神様との交わりを深めて、働いて燃え尽きるのではなく、燃え続けて働いていきたいものです。

コロナ禍の今、教会自体も、私たちのライフスタイルも、大きく変わることが要求されています。その変化に対応し、与えられた賜物を生かして、神が願われることと共に、人々が真に求め必要としていることを働きとして持って行くために、互いに励まし合い、祈り合っていきたいと思います。

〔ハーザー 2020年11月号 掲載〕

Back to top